blog:六甲山カフェ  
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  • 2012.09.17 Monday 12:49
  • 六甲山カフェとアルピニズム
  • by yamacafe
 

北穂高岳の滝谷には、RCC(ロック・クライミング・クラブ)の創設者・
藤木九三(くぞう)氏のレリーフが掲げられています(写真)。

藤木氏は、明治20年(1887)に京都府福知山で生まれ 京都三中、
早稲田を経て、東京毎日新聞の記者に。 その後朝日新聞に移りましたが、
大正5年(1916)に、 東久邇宮の槍ヶ岳登山に取材で同行し、
明神岳の威容に打たれて病みつきになりました。

大正8年(1919)には神戸支局長に昇進しますが、 その後住まいを
神戸の布引の滝近く、次いで甲子園に移し、 六甲山を拠点に
登山活動に勤しみます。

芦屋の岩場を「ロックガーデン」と名づけたのも藤木氏。
大正13年(1924)には仲間と岩登りの研究会
RCC(ロック・クライミング・クラブ)を創立し、ロックガーデンを根城として
トレーニングを重ね 大正14年(1925)8月には、案内人の松井憲三氏とともに、
北穂高岳滝谷の初登攀に成功しています。

ことほどさように、藤木氏はわが国の登山史に大きな足跡を残した
尖鋭的クライマー集団の組織者兼理論的指導者だったのですが、
その藤木氏が六甲山と日本アルプス、欧州アルプスを結びつけて
語ったことで、六甲山は独特の存在感を 持つことになりました。  

 阪神地方のクライマーはROCK-GARDENを持つことにより、
 一般の山党が六甲山を持つ以上に、恵まれた地位に
 置かれたことを自覚せねばならぬ。  
 近年日本アルプスで、岩登りを主とするクライミングの  
 顕著な記録の多くが、芦屋の岩場に親しむ若い僚友に  
 よって作られつつある事実は、あたかも英国の湖水地方の  
 岩場とアルプスとの関係を髣髴たらしめるものがある。  
 (藤木九三著『屋上登攀者』岩場の幻想 1927年11月より)


藤木九三氏のレリーフは、滝谷だけでなく、芦屋ロックガーデン・
高座の滝の横にもあります。そして毎年9月の最終日曜には、
彼の功績を称えて「藤木祭」が開催されています。
http://sangaku-osaka.com/hiking/fujikisai/12/0930.html

僕らは長らく、ロックガーデン麓の大谷茶屋で「六甲山カフェ」という
取り組みを続けてきましたが、この場所に集う人たちが山に対して
抱いてきた夢や野望を共有できるような場を、六甲山カフェの名前で、
もう一度興していきたい。

今朝、六甲山カフェメンバーの伊丹さん、岩崎さんと、大谷茶屋でそんな話をしました。

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